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日本史

菅原道真の梅好きのエピソード!神社の天満宮と飛び梅伝説とは?

投稿日:2019年8月2日 更新日:


あなたは、菅原道真という人物をご存知でしょうか?
学校の歴史で学んだことは覚えているけれど、
「どんな人だったかまでは覚えていない!」
という人は多いのではないでしょうか?

2月の25日は天神さまの日といわれていて、
この菅原道真と深く関係しているんです。
また、菅原道真は梅が好きだったことでも有名です。

神様とまでいわれた実在した人物、
菅原道真とはどんな人物だったのか、くわしくご紹介していきます。
  



菅原道真の梅が好きのエピソードとは?

平安時代前期、菅原道真(すがわらのみちざね 845〜903年)は学者の家に生まれました。幼い時は病気がちでしたが、とてもよく勉強をしました。

33歳の時に文章博士(大学寮で学問を教える教官)となり、
42歳で讃岐(今の香川県)の役人となって、
更に努力し出世して、とうとう右大臣になり政務を統轄しました。

ところが、一族の藤原氏は、道真の出世を恐れて、見に覚えのない罪をきせると、
食事も馬も与えない罪人扱いで九州の大宰府に追いやってしまいました。

道真は、床が抜け、雨もりのするほどひどい家でひたすら詩歌をつくり、
弱っていく自分の身体を小鳥のさえずりや、
美しく咲き誇る花で癒やしながら、2年後の2月25日に亡くなりました。

道真の死後、京都の都では、荒れた天気が続き、
あたり中、悪い病気が蔓延しはじめました。
そして39歳でまだ若かった藤原時平をはじめ、
藤原氏の一族や皇太子、皇族が次々と病死更には宮中の清涼殿に雷が落ちて、
藤原清貫ら4名が焼死しました。

※菅原道真は太宰府に行くことを受け入れていた、天命だと感じていたとも。
一連の出来事は、道真の眷属霊のたたりだったのでは?ともいわれています。

菅原道真が祀られている神社、天満宮とは?





力を持つ者達が死んでいき、これらを道真のたたりと恐れた人たちは、
怒りをしずめようと道真を右大臣にもどし、
更に上の位におくり、都に北野天満宮をつくって道真をまつりました。

その後、道実を天神さまと慕う人が増え、全国に天満宮がつくられていき、
千年たった今でも、学問の守り神として親しまれています。

道真がとくに、庭の梅の木を好み、大切にしていたので、
2月には全国の天満具で梅の花の祭りが行われています。
京都の北野天満宮では2月25日に梅花祭が行われています。

菅原道真の飛び梅伝説とは?

道実が京都から太宰府にいくとき、
「東風ふかばにおいおこせよ 梅の花 主なしとて 春なわすれそ」
(庭の梅の木よ、私はこれから西の九州へ行くが、春になって東風が吹いたら、忘れずに花の香りをおくってほしいものだ)
という歌をよみました。
そのため、京都の道真の屋敷の庭にあった梅の木が、
太宰府まで飛んでいって花を咲かせたという伝説が伝えられています。

まとめ

右大臣として、あるいはさらに偉くなって、
その時代の努めに励むことも素晴らしいですが、
死んで肉体から離れ、千年以上たった今もなお学問の神様として、
多くの人に功徳をあたえ続けています。

大昔に実在し、歴史の授業で習ったことのある人物なので、
とてもイメージしやすい神様ではないでしょうか?

梅の花を見た時は、菅原道真公を感じましょう。
そして是非、天満宮に参拝してみてはいかがでしょうか?

【別称】
天満天神(てんまてんじん)
天魔大自在天神(てんまだいじざいてんじん)

【ご利益】
受験合格
詩歌
文筆
芸能
学問上達
農業守護
病気平癒

【主な神社】
・太宰府天満宮
福岡県太宰府市宰府4-7-1

・北野天満宮
京都市上京区馬喰町

・防府天満宮
山口県防府市松崎町14-1

・湯島天満宮
東京都文京区湯島3-30-1



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